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| 『おじいさんのお米』 「ごはん・お米とわたし」というテーマを聞いて、私の祖先で佐々木惣吉という人の事を思い出しました。 江戸時代、伊勢の国(今の三重県)の米は江戸や大阪の市場でとても人気があり、産地の名前をとって、菰野米とか津桜米とか呼ばれていました。 明治二十四年に出版された「大日本産業事蹟」という本の中にも、三重県で生産されていた稲の品種についての紹介があります。そのうちの一つに「関取米」があります。「関取」とは相撲とりのことですが、どうしてお米に関取米という名前がついたのでしょうか。 江戸時代の終わりのある年の秋、菰野の農民であった佐々木惣吉は、自分が作っていた稲の中から一本を選び出し、それをもとに二年間栽培してみたところ、品質が良い上に収穫も今までのものよりもとても多く、その上、茎が強くて風などにも負けずに、病気にも強いという、農民にとっては願ってもない稲が収穫できました。風にも強いという事は、“めったに倒れない“というところから、相撲好きであった惣吉は、当時強かった関取の名前をとって「雲龍米」と名づけましたが、雲龍が負けることが多くなると、「関取米」と改名したということです。 この関取米は菰野町の農家の人達みんなが作るようになりました。そして、東京の市場でも普通の米に比べて、高値で取り引きされて全国的に有名になったため、「各地よりその種子を求めること頻繁であった」と記されています。 こうして、東海地方から関東や中国、四国、九州までこの関取米は広がってきました。その結果収穫量が全国で第四位になるほど、日本各地で作られるようになりました。 そして、「関取米で作った江戸のお寿司は江戸っ子に大人気だったんだよ。」という話もおじいちゃんに聞きました。 今までは、お米を作っていた祖先のおじいさんがいたことは知っていたけれど、あまりくわしい事は気にしていませんでした。しかし、今回調べてみて、日本全国の人が作っていた事や、食べていた事を知り、とても驚きました。そして、石碑もある事を知り、見に行ってみると、普段気にしないで通っている所でした。でも、その大きい石碑の前に立ってみると、そんなにすごいおじいさんだったんだなと思い、そんな人が自分の祖先に居た事をとてもうれしく思いました。この佐々木惣吉さんは、わたしの七代前のおじいさんです。 今は、色々な種類のお米が出てきて、関取米は幻のお米になってしまいましたが、いつか本物の関取米を食べてみたいです。 今まで、お米についてあまり考えたことがありませんでしたが、今回調べてみて、祖先の事やお米が江戸の人達やお寿司屋さんにとってとても必要な物だったんだなと思いました。 |
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